埼玉県にて料理人として活動し、sio株式会社の代表取締役も務めている鳥羽周作さん。
そんな鳥羽周作さんの若い頃がイケメンだと話題になっているようです。
そこで今回は、
- 鳥羽周作さんの若い頃のイケメン画像
- 昔から現在までの経歴を時系列
についてまとめました!
【画像】鳥羽周作の若い頃(昔)がイケメンすぎ!
シェフとして自身のお店のほか、メディアへの出演でもおなじみの鳥羽周作さん。
そんな鳥羽周作さんのプロフィールがこちら↓
名前:鳥羽周作(とば しゅうさく)
生年月日:1978年5月5日生まれ
職業:料理人、実業家
身長:170cm後半
好きなもの:料理、家具、音楽
経歴:2020年から4年連続でミシュラン1つ星を獲得
そんな鳥羽周作さんの若い頃がイケメンすぎると話題なんです!
今もイケメンだけど!
早速、鳥羽周作さんの若い頃の画像を見てみましょう。
2023年6月現在の鳥羽周作さんはかっこよさよりも優しそうで包容力がありそうな見た目をしていますが、若い頃の鳥羽周作さんは現在よりも細身でワイルドさがありますね!
また、ワイルドでイケメンなだけでなく、現在のような優しさも感じられるような容姿ですね。
鳥羽周作さん、若い頃から色気があってかっこいいですね!
鳥羽周作は若い頃(昔)は何してた?
若い頃からイケメンな鳥羽周作さんは、2023年6月現在は料理人をされていますが、若い頃は料理人とは別の仕事をしていたようです。
ここからは鳥羽周作さんが現在までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!
10代の頃
鳥羽周作さんは、こんな10代を過ごしています。
・10歳:サッカー少年だった鳥羽周作さんは三浦知良選手と一緒にお弁当を食べたときに「いつかカズさんと一緒にプレーしたいです」と伝え、三浦知良選手から「待ってるよ」と言われ、プロを志す。
・12歳:地元の中学校に進学し、サッカーを続ける
・15歳:サッカーの名門である浦和南高校に進学
・18歳:サッカーの名門である仙台大学に進学。しかし、試合に出られず遊ぶ日々が続く
小学2年生の時からサッカーを始めた鳥羽周作さんは、大学卒業までずっとサッカーに打ち込んでいたようですね!
10代の若い頃はスポーツマンだったんだなぁ~
サッカーを始めたきっかけは、ご両親の意向と周囲の友達の影響だそう。
僕は小学校2年生のとき、何かスポーツをやらせたいという両親の意向と、周りの友達みんながサッカーをやっていたことが重なって、地元のサッカー少年団に入団しました。
noteより
サッカーに挫折していた期間もあったようですが、1つのことを長期間続けられることも才能ですね!
20代の頃
20代の鳥羽周作さんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。
・22歳:サッカー選手を目指すために時間が作りやすい小学校の教員になる。平日は週4回の練習、土日はリーグ戦という日々を続ける
・25歳:同じ年齢の大野敏隆さんというプロ選手のスキルに圧倒され、サッカーをやめることを決意
・20代後半:サッカーと決別し、これから何をして生きていくのかを考え始める。料理が好きだったため、料理人を目指す
・28歳:本格的に料理人の道へ
鳥羽周作さんは小学生から続けてきたサッカーを大学生になっても続け、社会人になってからも続けていたようです。
就職後も、”サッカー選手になりたい” という想いが消えることはなく、平日は週4回の練習、土日はリーグ戦というサッカー漬けの日々を過ごしていました。
noteより
サッカーのプロを目指すために小学校教師を選択したと話していたため、サッカーへの思いはかなり真剣だったことが伝わります。
20代でも我が信じる道を進んでたんだ!
しかし、同じ年齢で自分よりももっとスキルが高い選手に出会い、自身の限界を感じてしまった鳥羽周作さんは、25歳でプロサッカー選手の夢を諦めました。
改めて将来を考えた時、料理が好きだったことから「料理人」の道へ!
28歳の時に本格的に料理人としてのキャリアを進み始めました。
ただ、この後もサッカーはやりながら料理の勉強をしていたようですよ。
30代の頃
30代の鳥羽周作さんの経歴も見てみましょう。
・32歳:31歳まで続けてきたサッカーをやめ、料理人の道へ。修行をした最初のお店は「DIRITTO」
・33歳:現在の奥さんと結婚
・35歳:青山にある「Florilege」で2年修行
・36歳まで:寝る間も惜しんで死ぬほど働き続ける
・37歳:恵比寿の「Aria di Tacubo」で2年スーシェフを務める
・39歳:代々木上原のGrisのシェフに就任。41歳の時に「sio」としてリニューアルオープン
サッカーから離れ、料理人の修行を積み始めた30代は非常に過酷だったようです。
若い頃からの経歴から一転、シェフへの道を究め始めたんだね。
料理人を目指すには遅いスタートだったため、体を酷使するだけでなく頭も他の人の3倍以上使えるように、普段から3つのことを同時に考えるトレーニングをしていたと話していました。
ひとつは、体でこなせる量にくわえて、思考量を3倍にして仕事をすることっす。
1日のうち、体は24時間しか絶対に使えないけど、頭は同時に3つのことを考えれば、3倍になるから72時間分、使えるでしょ?
R25より
30代の終盤にはレストランのシェフに就任しているため、これらの努力が実ったと言えるのではないでしょうか!
39歳で代々木上原の「Gris」のシェフに就任後、41歳で同店を「sio」としてリニューアルオープンし、人気シェフとして知名度も上げました。
鳥羽周作の若い頃からの経歴を時系列まとめ!
教員や料理人など様々な経歴を持つ鳥羽周作さん。
ここではそんな鳥羽周作さんの若い頃からの経歴を時系列順にまとめました!
・8歳:両親や友人の影響でサッカーを始める
・10歳:三浦知良選手と一緒にお弁当を食べた際に言われた「待ってるよ」の一言を胸にプロを志す
・15歳:サッカーの名門、浦和南高校に進学
・18歳:サッカーの名門、仙台大学に進学
・22歳:サッカー選手を目指すために、時間が作りやすい小学校の教員になる
・25歳:同じ年齢の大野敏隆さんというプロ選手のスキルに圧倒され、サッカーをやめる決意をする
・28歳:本格的に料理人の道を目指し始める
・32歳:31歳まで続けてきたサッカーをやめ、料理人の道へ。修行をした最初のお店は「DIRITTO」
・33歳:現在の奥さんと結婚
・35歳:青山にある「Florilege」で2年修行
・36歳まで:寝る間も惜しんで死ぬほど働き続けた
・37歳:恵比寿の「Aria di Tacubo」で2年スーシェフを務める
・39歳:代々木上原のGrisのシェフに就任
・41歳:代々木上原のGirlsをsioとしてリニューアルオープン
・43歳:複数の飲食店を運営するシズる株式会社を設立
若い頃からイケメンで、サッカーに打ち込んできた鳥羽周作さん。
料理人を志してからは凄まじい努力をし、見事に自身のレストランをオープンした鳥羽周作さんをこれからも応援しています!