俳優として幅広く活躍している高倉健さん。
その若い頃の姿がイケメンすぎると話題なんです!
さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。
そこで今回は、
- 高倉健さんの若い頃のイケメン画像
- 若い頃の出演作品や経歴
- 若い頃と現在の比較画像
- 若い頃と現在の髪型比較
についてまとめました!
【画像】高倉健の若い頃(昔)がイケメンすぎ!

俳優として多くのファンを魅了してきた高倉健さん。
2014年11月10日、享年83歳で亡くなりましたが、映画俳優として絶大な人気を誇り、多くの功績を残しました。
その若い頃がイケメンすぎると話題なんです!

81歳の高倉健さんもイケメンだけど!
早速、高倉健さんの若い頃の画像を見てみましょう。



イケメン!爽やかすぎる!




見つめられるとドキドキします。



高倉健さん、若い頃から渋くて男らしい魅力があって、かっこいいですね!
高倉健の若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!

若い頃からイケメンな高倉健さんですが、没年までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!
20代の頃

1955年(当時24歳)、東映東京撮影所の所長で映画プロデューサー・マキノ光雄さんにスカウトされ、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社した高倉健さん。
20代の経歴を見てみましょう。
・1955年(24歳):東映ニューフェイス第2期生として、東映へ入社
・1956年(25歳):映画「電光空手打ち」(主演・忍勇作 役)にて映画初主演でデビュー
・1956年(25歳):映画「流星空手打ち」(主演・忍勇作 役)に出演(※映画「電光空手打ち」の続編)
- デビュー作を含め、年間11本の映画作品に出演
・1956年(25歳):第1回 エランドール賞 新人賞を受賞
・1957年(26歳):映画「喧嘩社員」(主演・谷 役)に出演
- 年間10本の映画作品に出演
・1958年(27歳):映画「希望の乙女」(相原丈二 役)に出演
- 年間13本の映画作品に出演
・1959年(28歳):2月16日、歌手・女優の江利チエミさんと結婚
・1959年(28歳):映画「黒い指の男」(主演・三田新吉 役)に出演
- 年間10本の映画作品に出演
・1960年(29歳):映画「天下の快男児 万年太郎」(主演・万年太郎 役)に出演
- 年間11本の映画作品に出演

1956年、25歳の時に、映画「電光空手打ち」にて映画初主演でデビューを果たします。
デビュー作を含め、1年間に11本の映画作品に出演し、この年からスタートした第1回 エランドール賞 新人賞を受賞しました!
新人賞は1年を通じて最も活躍した将来有望な新人俳優に贈られる賞で、業界の数ある賞の中でも最も権威あるもののひとつとなっています。

俳優座研究所では落ちこぼれだったそうですが、採用から1か月半で主役デビューが決定したんだって!

まだ駆け出しの28歳でしたが、1959年2月16日、高倉健さんは歌手・女優の江利チエミさんと結婚。

1956年の映画「恐怖の空中殺人」での共演がきっかけで知り合い、その後、交際に発展したそうです。
30代の頃

任侠映画に出演するようになり、東映の看板スターとして活躍した高倉健さん。
どんな30代を歩んできたのか、まとめてみました。
・1961年(30歳):映画「悪魔の手毬唄」(主演・金田一耕助 役)に出演
- 年間10本の映画作品に出演
・1962年(31歳):映画「恋と太陽とギャング」(主演・石浜伸夫 役)に出演
- 年間10本の映画作品に出演
・1963年(32歳):映画「人生劇場 飛車角」(宮川健 役)に出演
- 年間12本の映画作品に出演
・1964年(33歳):映画「日本侠客伝」(主演・辰巳の長吉 役)に出演
- 年間8本の映画作品に出演
・1965年(34歳):映画「網走番外地」(主演・橘真一 役)に出演
- 年間10本の映画作品に出演
・1966年(35歳):映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」(主演・花田秀次郎 役)に出演
- 年間9本の映画作品に出演
・1967年(36歳):映画「網走番外地 悪への挑戦」(主演・橘真一 役)に出演
- 年間9本の映画作品に出演
・1968年(37歳):映画「日本侠客伝 絶縁状」(主演・浜田勇吉 役)に出演
- 年間9本の映画作品に出演
・1969年(38歳):映画「新網走番外地 流人岬の血斗」(主演・末広勝治 役)に出演
- 年間12本の映画作品に出演
・1970年(39歳):映画「昭和残侠伝 死んで貰います」(主演・花田秀次郎 役)に出演
- 年間10本の映画作品に出演
デビュー後、高倉健さんは
- アクション映画
- 喜劇
- 刑事物
- 青春物
- 戦争映画
- 文芸作品
- ミステリ映画
など、幅広いジャンルで現代劇映画に主演・助演して年間10本以上にも及ぶハードなスケジュールの中、数多くの作品に出演しましたが、作品はどれも当たらなかったそうです。

1963年(当時32歳)の映画「人生劇場 飛車角」(宮川健 役)で、高倉健さんは準主役で出演し、任侠映画スターとしての足掛かりをつかみ、1964年の映画「日本侠客伝」で降板した中村錦之助さんに代わり、高倉健さんが主役に抜擢されました。

高倉健さんの力強い眼力と低い声、寡黙な立ち姿が東映任侠路線でヒット!
「日本侠客伝」では全11作のシリーズへと発展し、いなせな侠客を演じた高倉健さんは、この1作で爆発的に名を馳せました。


寡黙で禁欲的な任侠道を貫く男という像を壊さぬよう真の映画スターとしての生き方を貫くべく、高倉健さんは自らを厳しく律して酒を飲まず、筋力トレーニングを続けていたんだって!イケメンだけでなく、生き方もかっこいい!

高倉健さんの代表作の一つであり、主演して大ヒットした1965年の映画「網走番外地」(主演・橘真一 役)に出演したのは34歳の時。
網走刑務所で1年数か月服役した伊藤一さんが出版した実録物の小説「網走番外地」を、スタンリー・クレイマー監督の米映画「手錠のまゝの脱獄」を巧みに換骨奪胎した、日本版「手錠のまゝの脱獄」といえる豪快なアクション映画です。
本作は大当たりし、主演の高倉健さんは大雪原の脱走、トロッコによる追跡劇、列車による手錠切断などのアクションを見事に演じ切り、一躍スターダムに駆け上がりました。

さらに、「網走番外地」シリーズの主題歌『網走番外地』(同タイトル)は、のちに歌詞の一部が反社会的であるとの理由で一時は放送禁止歌になりましたが、公称200万枚を売り上げるほどの大ヒットを記録しました。

「網走番外地」は興行的にヒットし、シリーズ化されて石井輝男監督による続編が矢継ぎ早に製作され、2年半の間に10作もの作品が公開。その後、監督を交代した「新網走番外地」シリーズでは8本製作されたんだよ!

同じく1965年にスタートし、池部良さんとコンビを組んだ「昭和残侠伝」シリーズ(全9作)では、1966年(当時35歳)の時に、第1作に続き、高倉健さんは第2作目の映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」でも主演・花田秀次郎 役を熱演。

同年の1966年、「昭和残侠伝」シリーズの主題歌『唐獅子牡丹』も歌唱し、大ヒットしました。
40代の頃

東映ヤクザ映画の看板スターとなり名を馳せた高倉健さんですが、40歳の時にCM初出演を果たします。
「飲んで貰います」のコピーが使用された『アサヒビール 』のCMに起用されましたが、高倉健さんは実は下戸なんだとか。
そんな高倉健さんの40代の経歴を見てみましょう。
・1971年(40歳):9月3日、江利チエミさんと離婚
・1971年(40歳):CM『アサヒビール 』にてCM初出演(~1972年)
・1974年(43歳):映画「ザ・ヤクザ」(主演・田中健 役)に出演
・1976年(45歳):東映を退社
・1977年(46歳):金曜ドラマ「あにき」(主演・神山栄次 役)にてテレビドラマ初主演(※連続テレビドラマでの主演作は最初で最後)
・1977年(46歳):映画「八甲田山」(主演・徳島大尉 (第1大隊第2中隊長)役)、映画「幸福の黄色いハンカチ」(主演・島勇作 役)に出演し、多数の賞を受賞
- 第20回 ブルーリボン賞 主演男優賞
- 第32回 毎日映画コンクール 男優演技賞
- 第2回 報知映画賞 主演男優賞
- 第51回 キネマ旬報 主演男優賞
・1978年(47歳):前年に続き、映画「八甲田山」・「幸福の黄色いハンカチ」にて多数の賞を受賞
- 第1回 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
- 第24回 アジア太平洋映画祭 俳優部門 主演男優賞
・1980年(49歳):映画「動乱」(主演・宮城啓介 役)に出演

1971年9月3日(当時40歳)、高倉健さんは江利チエミさんと離婚。
離婚理由は、江利チエミさんの親族とのトラブルが大きな原因だったようです。

離婚後、高倉健さんは女性との交際の噂はあったものの、再婚はしなかったそうだよ。一方、江利チエミさんは離婚から11年後に45歳の若さで亡くなり、江利さんの命日には毎年、墓参りは欠かさず、花を手向け、本名を記した線香を贈っていたんだって。


1977年、46歳の時に、高倉健さんは映画「八甲田山」(主演・徳島大尉 (第1大隊第2中隊長)役)、映画「幸福の黄色いハンカチ」(主演・島勇作 役)に出演し、
- 第20回 ブルーリボン賞 主演男優賞
- 第32回 毎日映画コンクール 男優演技賞
- 第2回 報知映画賞 主演男優賞
- 第51回 キネマ旬報 主演男優賞
など、数多くの賞を受賞!

独立後、10年以上出演し続けた仁侠映画のイメージから脱却し、俳優として幅を広げて、ますます活躍していったんだね!


さらに1978年(当時47歳)、前年に続き、映画「八甲田山」・「幸福の黄色いハンカチ」にて多数の賞に輝きます。
- 第1回 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
- 第24回 アジア太平洋映画祭 俳優部門 主演男優賞
高倉健さんの演技力は高く評価され、国民的俳優として活躍し続けました。
50代の頃

50代の頃の高倉健さん、渋さが増して大人の魅力が加わりイケメンですね!
” 不器用 ”が高倉健さんの代名詞となったのは、「自分、不器用ですから」のセリフが登場する日本生命のCMからなんだそうです。
50代はどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?
・1981年(50歳):映画「動乱」(主演・宮城啓介 役)、映画「遥かなる山の呼び声」(主演・田島耕作 役)にて、第4回 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞を受賞
・1982年(51歳):映画「駅 STATION」(主演・三上英次 役)にて、多数の賞を受賞
- 第5回 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
- 第28回 アジア太平洋映画祭 俳優部門 主演男優賞
・1984年(53歳):CM『日本生命保険 「ロングラン」』に出演(~1988年)
・1985年(54歳):映画「夜叉」(主演・修治 役)に出演
・1988年(57歳):映画「海へ 〜See you〜」(主演・本間英次 役)に出演
・1989年(58歳):映画「Black Rain」(松本正博警部補 役)に出演
・1989年(58歳):映画「あ・うん」(主演・門倉修造 役)に出演


50歳を迎えた高倉健さんは、1981年、映画「動乱」(主演・宮城啓介 役)、映画「遥かなる山の呼び声」(主演・田島耕作 役)にて、第4回 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞を獲得しました。

50代の頃も第一線でバリバリ活躍してたんだなぁ~

1982年(当時51歳)、映画「駅 STATION」(主演・三上英次 役)に出演し、多数の賞を受賞!
- 第5回 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
- 第28回 アジア太平洋映画祭 俳優部門 主演男優賞
生涯205本の映画に出演し、テレビドラマは5本の作品に出演した高倉健さん。
さらに、映画俳優として活躍する中、数多くのテレビCMにも出演しました。
下記の動画は、” 不器用 ”が高倉健さんの代名詞となった『日本生命保険 「ロングラン」』のCMです。
1984年、53歳の時からスタートしたCMは1988年まで起用され、他にも様々なバージョンの不器用な高倉健さんが放送されました。
その後、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年には長年の功績が称えられ文化勲章を受章しました。
健さんの愛称で親しまれた日本を代表する名優として、今でも多くのファンに愛され続けています。
高倉健の若い頃(昔)と現在を画像で比較!
高倉健さんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と晩年の高倉健さんは変わっているのでしょうか?
昔の高倉健さんと晩年の高倉健さんを画像比較してみましょう。

若い頃も晩年も、なんてイケメンなのでしょうか!

イケメンすぎて惚れ惚れしちゃう
もちろん歳を重ねた感じはありますが、肌ツヤもよく笑顔もとっても素敵です。
年月とともにどんどん高倉健さんの魅力が増していて、かっこよすぎですね!
高倉健の若い頃(昔)の髪型は?
高倉健さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型は黒髪の短髪。
デビュー当時は少し長めの短髪でしたが、任侠映画に出演するようになってからはやくざ役が定着し、角刈りの短髪スタイルで、不器用だけど信念を曲げない ”男の中の男” を演じ続けました。

若い頃の髪型も渋くてかっこいい!似合う!

そして、晩年はグレイヘアの短髪。
寡黙で飾り気のない自然なスタイルで、若い頃よりも大人の渋さが一層アップしてダンディな高倉健さんも素敵です。
様々な髪型を経験してきた高倉健さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!
若い頃からイケメンで、第一線で活躍し続けてきた高倉健さん。
これからも応援しています!

