女優や歌手として幅広く活躍している志穂美悦子さん。
その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!
そこで今回は、
- 志穂美悦子さんの若い頃の可愛い画像
- 若い頃の出演作品や経歴
- 若い頃と現在の比較画像
- 若い頃と現在の髪型比較
についてまとめました!
【画像】志穂美悦子の若い頃(昔)が可愛すぎ!
女優として多くのファンを魅了してきた志穂美悦子さん。
プロフィールがこちら↓
名前:志穂美 悦子(しほみ えつこ)
本名:長渕 悦子(ながぶち えつこ)※旧姓:塩見(しおみ)
生年月日:1955年10月29日
職業:女優・歌手・フラワーアーティスト
身長:163cm
血液型:A型
趣味:マラソン・フラワーアレンジメント
そんな志穂美悦子さんの若い頃が可愛すぎると話題なんです!
早速、志穂美悦子さんの若い頃の画像を見てみましょう。
可愛い!正統派美人!
面影を感じます。
志穂美悦子さん、若い頃から色気があって可愛いですね!
志穂美悦子の若い頃(昔)から現在まで時系列でまとめ!
若い頃から可愛い志穂美悦子さんですが、現在までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!
10代の頃
テレビドラマ「キイハンター」を観て俳優の千葉真一さんの熱狂的なファンとなり、16歳の時(1972年)に、スタントマンを目指して千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)を受験して合格した志穂美悦子さん。
そんな志穂美悦子さんは、こんな10代を過ごしています。
・1972年(16歳):8月、千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)を受験して合格
・1972年(16歳):10月に上京し、ジャパンアクションクラブ(JAC)に入会するとともに中延学園高等学校に転校(1974年に卒業)
・1973年(17歳):千葉真一さん主演映画「ボディガード牙」(牙直人の妹・マキ 役(渡辺やよいさん)の擬斗の吹き替え)に出演
- 本名(旧姓)の ”塩見 悦子” でデビュー(クレジットなし)
・1973年(17歳):千葉真一さん主演テレビドラマ「現代鬼婆考・殺愛」(大庭しげ男の妹・大庭しげみ 役)に出演
・1973年(17歳):シリーズ化された映画「ボディガード牙 必殺三角飛び」(マキ 役)に出演
- 千葉真一さんの本名(前田禎穂さん)から「穂」を一字貰い受け、本作から芸名を ”志穂美 悦子” にして活動
・1974年(18歳):アクション映画「女必殺拳」(李紅竜 役)に初主演
・1974年(18歳):シリーズ化された映画「女必殺拳 危機一髪」(主演・李紅竜 役)に出演
・1975年(19歳):多数の映画に出演
- 「帰ってきた女必殺拳」(主演・李紅竜 役)
- 「若い貴族たち 13階段のマキ」(主演・日向真樹 役)
- 「華麗なる追跡」(主演・矢代忍 役)
千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)に合格した志穂美悦子さんは、同じ年の1972年10月(当時16歳)に上京し、ジャパンアクションクラブ(JAC)に入会。
高校2年生だったため、当時女性芸能人の在籍が多かった中延学園高等学校に転校しました。
1973年、高校3年生(当時17歳)の時に、志穂美悦子さんは千葉真一さん主演映画「ボディガード牙」で、牙直人の妹・マキ 役(渡辺やよいさん)の擬斗の吹き替えをして、スタントマンとしてデビューを果たします。
その後、1974年に高校を卒業し、大学などには進学せず芸能活動に専念しました。
映画「ボディガード牙」では、本名(旧姓)の ” 塩見 悦子 ” でデビュー(クレジットなし)したんだよ!
デビューと同じ1973年、17歳の時に、シリーズ化された千葉真一さん主演の映画「ボディガード牙 必殺三角飛び」でマキ 役に抜擢され、女優としても出演を果たしました!
千葉真一さんの本名(前田禎穂さん)から「穂」を一字貰い受け、本作から芸名を ” 志穂美 悦子 ” にして活動。
芸名の ” 志穂美 ” という名前には、”『志』は意志の強さ、『穂』は成長を期待、『美』は女性らしく美しく” という意味が込められているそうです。
18歳を迎えた1974年、志穂美悦子さんはアクション映画「女必殺拳」(李紅竜 役)に初主演し、華麗なアクションを披露して一躍有名女優に!
女必殺拳はシリーズ化されて大ヒットとなり、同じ年の1974年、映画「女必殺拳 危機一髪」(主演・李紅竜 役)に出演し、日本初のアクション女優として絶大な人気を博しました。
1975年(当時19歳)には主演作が相次ぎ、志穂美悦子さんは、
など、多数の映画に出演。
さらに同じ年の1975年、「若い貴族たち 13階段のマキ」で主題歌も歌唱し、歌手デビューを果たしました。
女必殺拳シリーズは海外でも公開され、” Sue Shihomi ” の異名で世界的に知名度を上げ、出世作となったんだって!
日本で初めて吹き替えなしで女優自らスタント・擬斗を演じ、剣技だけでなく格闘をメインにして多数の作品に主演した志穂美悦子さん。
その後も追随するアクション女優はいまだ出ていないようです!
20代の頃
10代で爆発的な人気を博した志穂美悦子さんは、アクション女優の地位を不動のものにした20代となりました。
続いて、20代の頃の経歴も見てみましょう。
・1976年(20歳):映画「必殺女拳士」(主演・桧垣由美 役)に出演
・1976年(20歳):テレビ時代劇「大江戸捜査網(第263話~第306話)」(隠密同心・風(お新)役)にて初の時代劇に進出
・1977年(21歳):バラエティ番組「みどころガンガン大放送」に初レギュラー出演
・1978年(22歳):映画「柳生一族の陰謀」(柳生茜 役)に出演
・1981年(25歳):第1回JACミュージカル「柳生十兵衛 魔界転生」(天草四郎時貞 役)に出演
・1981年(25歳):第1回JACミュージカル「スタントマン物語」(※柳生十兵衛 魔界転生と同時上演)に出演
・1985年(29歳):JAC (サニー千葉エンタープライズ)より独立し、個人事務所『ハンドレット』を設立
1976年、20歳の時に、映画「必殺女拳士」(桧垣由美 役)で主演し、切れの良いアクションでファンを魅了しました。
人気絶頂期を迎えた志穂美悦子さんは、当時の人気スターのバロメーターと言えるブロマイドの売上がNo.1となり、1975年~1978年まで売上ベスト10入りを記録しています。
同じ1976年、テレビ時代劇「大江戸捜査網」(第263~306話)で、隠密同心・風(お新)役を演じ、初の時代劇デビュー。
志穂美悦子さんの立ち回りシーンでは、時代劇でもほとんど日本刀を使わず、蹴り技やヌンチャクで相手を倒す擬斗を見事に魅せました。
アクション女優としての幅をどんどん広げて、ますます魅力的になっていくなぁ~
21歳の頃、1977年にバラエティ番組「みどころガンガン大放送」で、初レギュラー出演しました。
志穂美悦子さんは劇中で「空手部の主将 役、シスター兼教師 役」で登場。
「みどころ学園」という架空の学校を舞台にしたドタバタ劇で、ミニスカートでのアクション・擬斗や歌を歌うなど映画とは違った一面を見せ、お茶の間を楽しませてくれました。
1978年(当時22歳)の時に、志穂美悦子さんは映画「柳生一族の陰謀」(柳生茜 役)に出演。
千葉真一さんが演じる柳生十兵衛三厳の妹で男装の剣士・柳生茜を熱演しました。
本作品は興行収入30億円以上を記録し大ヒットとなり、連続ドラマ「柳生一族の陰謀」としても放送され、志穂美悦子さんは柳生茜 役にて再び出演しています。
その後、テレビ時代劇「柳生あばれ旅」の続編となる「柳生十兵衛あばれ旅」でも志穂美悦子さんは柳生茜 役でレギュラー出演し、さらに主題歌「明日よ、風に舞え」も歌唱したんだって!
30代の頃
日本初の本格派アクション女優となった志穂美悦子さんですが、人気絶頂期に私生活で大きな変化がありました。
30代を迎えた志穂美悦子さんの経歴を見てみましょう。
・1986年(30歳):ドラマ「親子ゲーム」(三石加代 役)に出演し、主演・長渕剛さんと共演
・1986年(30歳):映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」(マドンナ・島崎美保 役)に出演し、再び長渕剛さんと共演
・1987年(31歳):8月29日、歌手・長渕剛さんと結婚し、長渕さんの意向で芸能界を引退
・1988年(32歳):第1子となる長女・文音さんを出産
・1989年(33歳):第2子となる長男・航さんを出産
・1994年(38歳):第3子となる次男・蓮さんを出産
30歳を迎えた1986年、志穂美悦子さんはドラマ「親子ゲーム」(三石加代 役)に出演し、主演の長渕剛さんとラーメン屋の夫婦で共演しました。
撮影中に志穂美悦子さんが左手小指の付け根を骨折してしまい、病院に向かう時に長渕剛さんが付き添ったことがきっかけで交際がスタートしたそうです。
同じ年の1986年、映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」で、志穂美悦子さんはマドンナの島崎美保 役を演じ、再び長渕剛さんと共演。
この頃には公に、交際していることを双方とも認めています。
映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」に出演したのは30代だったのか!30代になっても変わらず美しく、マドンナに抜擢されるのも納得だな~
1987年8月29日、31歳の時に、志穂美悦子さんは歌手・長渕剛さんと結婚。
その後、長渕剛さんの意向で芸能界を引退しました。
結婚&芸能界引退後、志穂美悦子さんは、
- 1988年3月17日、第1子長女・文音さん
- 1989年2月2日、第2子長男・航さん
- 1994年2月28日、第3子次男・蓮さん
3人の子供を出産し、専業主婦に専念しました。
40~50代の頃
30代で芸能界から突然引退した志穂美悦子さんは、その後何をしているのでしょうか?
志穂美悦子さんはどんな40~50代を過ごしたのかまとめてみました。
・2002年(46歳):趣味のマラソンをきっかけに、月刊誌「ランナーズ」誌上にて対談「悦ちゃんといっしょに話走(はなそう)」が連載開始
・2010年(54歳):フラワー検定取得後、世界的トップフラワーデザイナーであるダニエル・オスト氏の内弟子の前田玲子さんと清水はるみさんに師事
・2011年(55歳):長渕剛さんが経営する自由が丘のオフィシャルカフェ『Rock On』の特別企画に賛同し、東日本大震災復興支援・チベット難民キャンプ支援としてフラワーアレンジメントの写真集「Flower Arrangement INSPIRE 〜いちかばちか〜」を自費出版で発売
・2013年(57歳):情報番組「はなまるマーケット」にゲスト出演
日本初の女性アクションスターとして一世を風靡した志穂美悦子さんは、現在、フラワーアーティストとして活動しています。
2010年(当時54歳)の時に、フラワー検定取得後、世界的トップフラワーデザイナーであるダニエル・オスト氏の内弟子の前田玲子さんと清水はるみさんに師事しました。
きっかけは、義父の法要でお供えに飾ってあった仏花の濃いワイン色の花に魅せられ、花の世界に興味を持ったことでフラワーアレンジメントを始めたそうです。
若い頃も可愛いけど、50代になってオトナの魅力が増した志穂美悦子さんもすごく素敵!
2011年、55歳の時、長渕剛さんが経営する自由が丘のオフィシャルカフェ『Rock On』の特別企画に賛同し、志穂美悦子さんは東日本大震災復興支援・チベット難民キャンプ支援としてフラワーアレンジメントの写真集「Flower Arrangement INSPIRE 〜いちかばちか〜」を全額自己負担の完全な自費出版で発売。
本の売上の50%が東日本大震災の復興支援、あとの50%はインドのチベット難民キャンプへの支援に当てられ、全額を寄付したそうです。
著書の発売当日に行われたサイン本販売会では、長渕剛さんオフィシャルカフェ『Rock On』にてフラワーアレンジメント作品を展示し、志穂美悦子さん本人による握手会とサイン会を催しました。
著書は、作品の撮影、文章はもちろん、本の構成・編集などもすべて志穂美悦子さんが担当したんだって!さらに、これまでの作品300点以上の中から厳選して収録されたんだとか。
フラワーアレンジメントを通じて活動の場を広げている志穂美悦子さんは、2013年(当時57歳)の時に、情報番組「はなまるマーケット」にゲスト出演。
トークコーナーの「はなまるカフェ」では、アクション女優時代の話やフラワーアーティストとしての活動を語っています。
志穂美悦子さんは結婚会見以来27年ぶりのテレビ出演で、話題を呼びました!
志穂美悦子の若い頃(昔)と現在を画像で比較!
志穂美悦子さんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と現在の志穂美悦子さんは変わっているのでしょうか?
昔の志穂美悦子さんと現在の志穂美悦子さんを画像比較してみましょう。
若い頃も現在も、なんて可愛くて美人なのでしょうか!
美しすぎて惚れ惚れしちゃう
メイクは若い頃とは違っていますが、歳を重ねても変わらず美しい志穂美悦子さんですね!
志穂美悦子の若い頃(昔)の髪型は?
志穂美悦子さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?
若い頃の髪型はストレートのロングヘア。
前髪を左側へ大きく流すスタイルが爽やかで、アクション女優としてかっこよさを引き立たせていますね!
若い頃の髪型もすごく可愛い!
そして、現在はゆるいパーマをかけたロングヘア。
前髪が右側に流すヘアスタイルに変わり、若い頃より明るいヘアカラーになっています。
いろんな髪型を経験してきた志穂美悦子さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!
若い頃から可愛くて、第一線で活躍し続けてきた志穂美悦子さん。
これからも応援しています!