俳優として幅広く活躍していた三國連太郎さん。
その若い頃の姿がイケメンすぎると話題なんです!
さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。
そこで今回は、
- 三國連太郎さんの若い頃のイケメン画像
- 若い頃の出演作品や経歴
- 若い頃と現在の比較画像
- 若い頃と現在の髪型比較
についてまとめました!
【画像】三國連太郎の若い頃(昔)がイケメンすぎ!
俳優として多くのファンを魅了してきた三國連太郎さん。
その若い頃がイケメンすぎると話題なんです!
ハーフっぽい顔立ちでカッコいいね!
早速、三國連太郎さんの若い頃の画像を見てみましょう。
イケメン!爽やかすぎる!
見つめられるとドキドキします。
三國連太郎さん、若い頃から色気があってかっこいいですね!
三國連太郎の若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!
若い頃からイケメンな三國連太郎さんですが、現在までどんな経歴を辿ってきたのか、時系列でまとめてみましょう!
20代の頃
20代の三國連太郎さんはどんな経歴を歩んできたのか、まとめてみました。
・1943年(20歳):赤紙(軍の召集令状)が届き逃亡を図るも、静岡県の陸軍に入隊
・1945年(22歳):第二次大戦敗戦後、中国の収容所に抑留
・1946年(23歳):日本への早期帰国の為、偽装結婚
・1948年(25歳):妊娠中の妻と離婚し鳥取県で農協入りした後、現地の女性と結婚
・1950年(27歳):農協を辞め、福島県を拠点に闇商売を始めるも挫折
・1950年(27歳):松竹のプロデューサーにスカウトされ、松竹大船撮影所に演技研究生として入所
・1951年(28歳):映画「善魔」(三國連太郎役)で俳優デビューを果たし、ブルーリボン賞にて新人賞を受賞
・1952年(29歳):東宝作品への出演がきっかけで松竹を解雇
・1952年(29歳):2度目の離婚
・1952年(29歳):映画「本日休診」(勇作役)に出演
三國連太郎さんは、1951年に俳優としての人生をスタートさせるまで、波乱の人生を送ってきました。
第二次世界大戦真っ只中の1943年、20歳の時に赤紙(陸海軍の召集令状)が届きますが、戦争に行きたくなかった三國連太郎さんは逃亡。
しかし結局は連れ戻されてしまい、陸軍に入隊することになったそうです。
実際に戦うことはなく終戦を迎えましたが、その後も中国の収容所に入れられたり、早期帰国のための偽装結婚や日本各地を転々としながらの仕事、離婚や2度目の結婚など、若い頃から様々な経験をされてきました。
三國連太郎さんはこの時の偽装結婚も合わせて、亡くなるまでに計4回の結婚と3回の離婚をしているんだって!
そんな生活を送っていた三國連太郎さんですが、1950年、27歳の時についに人生の転機が訪れました。
東銀座を歩いていたところをスカウトされ、松竹大船撮影所の演技研究生となります。
そして翌年の1951年に映画「善魔」でデビューし、この時の役名だった”三國連太郎”を名乗り、俳優人生をスタートさせることになりました。
三國連太郎さんはこの映画でブルーリボン賞新人賞を受賞。
監督からも認められる活躍をみせましたが、さらに翌年の1952年には、松竹と東宝による三國連太郎さんを巡る争奪戦の末、松竹から解雇を言い渡されてしまいます。
プライベートではこの間に2度目の離婚をするなど、デビュー後も波乱の人生は続きました。
30代の頃
30代の三國連太郎さんの経歴も見てみましょう。
・1954年(31歳):映画「宮本武蔵」(本位田又八役)に出演
・1956年(33歳):映画「ビルマの竪琴」(主演:井上隊長役)に出演
・1956年(33歳):テレビドラマ「どたんば」(炭鉱労働者役)に出演
・1957年(34歳):映画「異母兄弟」(主演:鬼頭範太郎役)に出演
・1957年(34歳):3度目の結婚
・1960年(37歳):3人目の妻との間に男児(=佐藤浩市さん)が誕生
・1960年(37歳):映画「大いなる旅路」(主演:岩見浩造役)に出演し、ブルーリボン賞にて主演男優賞を受賞
・1961年(38歳):映画「はだかっ子」(尾沢おじさん役)、映画「飼育」(鷹野一正役)に出演し、毎日映画コンクールにて男優助演賞を受賞
30代になってからも活躍の場を広げ続ける三國連太郎さんは、1956年にはNHKで放送された「どたんば」でテレビドラマデビューも果たします。
「どたんば」は当時はまだ多かった”生放送”のドラマで、演技は全て一発勝負、言い間違えなどもそのまま放送されるという緊張感の中、三國連太郎さんは荒々しい炭鉱夫役を演じ切りました。
場面が変われば大急ぎで違うセットに移動したり、セリフを忘れて芝居が止まってしまったり、大変な撮影だったみたいだよ。
1957年公開の映画「異母兄弟」では、軍人の鬼頭範太郎役を演じました。
役になりきり作品ごとに全く違う顔を見せる三國連太郎さんですが、本作中では、34歳という若さで70代の老けこんだ鬼頭を演じるために、”10本の歯を抜く”という徹底的な役作りをして臨んだそうです。
しかも、顔が腫れると困るからって、麻酔なしで抜いたんだって。
ひぇ~!!すごい役者魂!
そんなストイックな役者人生を送る三國連太郎さんですが、プライベートでは、1957年に3度目の結婚をしました。
1960年には男の子も誕生しておりますが、この男の子こそが、後に俳優として活躍する”佐藤浩市さん”だそうです。
あらためてお2人の画像を比べてみても、やっぱりとても似ていますね!
三國連太郎さんには、1人目の奥さんとの間に1人、3人目の奥さんとの間に1人、そして佐藤浩市さんの合計で3人の子供がいるとされていますが、佐藤浩市さん以外は誕生年や名前などは公表されていないようです。
40代の頃
40代の三國連太郎さんはどんな経歴を辿ってきたのでしょうか?
・1963年(40歳):映画「無法松の一生」(主演:富島松五郎役)に出演
・1965年(42歳):映画「飢餓海峡」(主演:犬養多吉役)映画「にっぽん泥棒物語」(主演:林田義助役)に出演し、毎日映画コンクールにて男優主演賞などを受賞
・1969年(46歳):映画「新選組」(芹沢鴨役)に出演
・1969年(46歳):テレビドラマ「霧の旗」(大塚鉄三役)に出演
・1969年(46歳):テレビドラマ「戦国艶物語(第2部)」(豊臣秀吉役)に出演
・1970年(47歳):映画「蝦夷館(えぞやかた)の決闘」(宇佐新兵衛役)に出演
・1971年(48歳):映画「甦える大地」(野田鋭介役)に出演
1965年、三國連太郎さん42歳の時には映画「飢餓海峡」や「にっぽん泥棒物語」に出演し、
- 毎日映画コンクール・・・男優主演賞
- キネマ旬報賞・・・男優賞
- ホワイトブロンズ賞・・・主演男優賞
などの各賞を受賞しました。
映画「飢餓海峡」では主役の犬養多吉を演じ、貧困を極めたの人間の欲望や苦悩、それによって引き起こされた数奇な運命に巻き込まれていく様子を怪演。
これまで数多くの作品に出演してきた三國連太郎さんの、代表作とも呼ばれる作品となりました。
映画「にっぽん泥棒物語」では、”破蔵詩(むすめし)”と呼ばれる泥棒のエリート、林田義助役を演じます。
本作は戦後の日本で実際にあった『松川事件』がモデルになっており、三國連太郎さんは時にユーモラスに、時にシリアスに林田義助を演じ、観る人の感情を揺さぶりました。
終盤の法廷のシーンでは、思わず涙した人も多いんじゃないかなぁ…
50代の頃
俳優として進化を続けた、50代の経歴も見ていきましょう。
・1974年(51歳):映画「襤褸(らんる)の旗」(主演:田中正造役)に出演し、毎日映画コンクールにて男優主演賞を受賞
・1976年(53歳):テレビドラマ「赤い運命」(島崎栄次役)に出演
・1977年(54歳):映画「八甲田山」(山田正太郎役)に出演
・1978年(55歳):テレビドラマ「家族熱」(黒沼謙造役)に出演
・1979年(56歳):映画「復讐するは我にあり」(榎津鎮雄役)に出演
・1981年(58歳):映画「セーラー服と機関銃」(三大寺一役)に出演
50代を迎えてなお、ストイックな役作りを続けた三國連太郎さん。
1974年、51歳で出演した映画「襤褸(らんる)の旗」では、足尾鉱毒事件を告発した政治家・田中正造役を演じました。
田中正造が三國連太郎さんに乗り移ったかのような迫真の演技を見せ、毎日映画コンクールにて男優主演賞を受賞しています。
田中正造が土を食べるシーンがあるんだけど、なんとそのシーンは三國連太郎さんのアドリブなんだって!
1979年公開の映画「復讐するは我にあり」では、緒形拳さん演じる殺人鬼の父親役を演じます。
息子と対峙するシーンでは、憎しげに緒形拳さんの顔に向かって唾を吐き掛ける一幕もありました。
三國連太郎さん本人いわく”本気で思いっきり唾をためて相手の顔をめがけて吐き掛けた”ようで、ここでも芝居に手を抜かない役者魂が伺えますね。
三國連太郎の若い頃(昔)と現在を画像で比較!
三國連太郎さんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と現在(晩年の80代)の三國連太郎さんは変わっているのでしょうか?
昔の三國連太郎さんと80代の三國連太郎さんを画像比較してみましょう。
若い頃からなんてイケメンなのでしょうか!
イケメンすぎて惚れ惚れしちゃう
もちろん歳を重ねた感じはありますが、ダンディーで、優しい笑顔もとっても素敵です。
年月とともにどんどん三國連太郎さんの魅力が増していて、かっこよすぎですね!
三國連太郎の若い頃(昔)の髪型は?
三國連太郎さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?
若い頃の髪型は、左側から9対1くらいで分けた”サイドパート”と呼ばれる髪型でした。
カラーはせず黒髪で、きちんと感と爽やかさを兼ね備えた髪型が、若い頃の三國連太郎さんの端正な顔だちを際立たせていますね。
前髪をおろすと少しワイルドな印象で、これもまたお似合いです!
若い頃の髪型も素敵!似合う!
そして晩年は、白髪をオールバック風にセットした髪型でした。
三國連太郎さんが65歳の時から出演を続けた代表作、映画「釣りバカ日誌」の”スーさん”がまさにこの髪型でしたね。
様々な髪型を経験してきた三國連太郎さんですが、どんな髪型でも似合っています!
若い頃からイケメンで、第一線で活躍し続けてきた三國連太郎さん。
これからも応援しています!