歌手や女優として幅広く活躍している研ナオコさん。
その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!
さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。
そこで今回は、
・研ナオコさんの若い頃の可愛い画像
・若い頃の出演作品や経歴
・若い頃と現在の比較画像
・若い頃と現在の髪型比較
についてまとめました!
【画像】研ナオコの若い頃(昔)が可愛すぎ!
歌手や女優として多くのファンを魅了してきた研ナオコさん。
その若い頃が可愛すぎると話題なんです!
早速、研ナオコさんの若い頃の画像を見てみましょう。
可愛い!チャーミング!
ハーフのような顔立ちですね。
研ナオコさん、歌手の顔は、また一味違います!
研ナオコの若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!
若い頃から可愛い研ナオコさんですが、昔の出演作品や経歴はどうだったのか、時系列でまとめてみましょう!
10代の頃
10代の頃の研ナオコさん、日本人離れした顔立ちで、とても可愛いですね!
そんな研ナオコさんは、こんな10代を過ごしています。
・1965年(12歳):テレビ番組「ちびっこのどじまん」に出場し、不合格
・1965年(12歳):テレビ番組「のど自慢大会」で「悲しい酒」を歌って合格
・1967年(14歳):テレビ番組「のど自慢大会」に出場し、準優勝
・1970年(17歳):歌手を目指し上京
・1971年(18歳):東宝レコードの第1号歌手として「大都会のやさぐれ女」でデビュー
・1972年(19歳):「二人で見る夢」「京都の女の子」「こんにちは男の子」立て続けにリリース
研ナオコさんは歌が大好きで、10歳の時には、テレビ番組「日清ちびっこのどじまん」に出場します。
「星空に両手を」を歌唱するのですが、子どもが歌うのにはふさわしくないとの理由で、不合格でした。
大人顔負けの歌唱力だったのでしょうね!
12歳の時には、「のど自慢大会」で「悲しい酒」を歌って合格、14歳の時には準優勝に輝いています。
決して裕福ではない家庭で育った研ナオコさんは、家族を楽にさせたい一心で、歌手を目指すようになりました。
高校を中退した後は、親戚の縁で、設立予定だった「東宝レコード」のオーディションを受け、見事合格。
当時は歌のレッスンと並行して、生活費を稼ぐためにエレベーターガールとして働いたそうです。
1971年、研ナオコさんが18歳の時に東宝レコードの第1号歌手として「大都会のやさぐれ女」でデビュー。
10代の若い頃から歌手として活動してたんだなぁ~
当時ほとんど売れず、夜行列車に乗って、キャバレーなどを中心に、全国をキャンペーンで回る日々でした。
毎日レコードジャケットと同じ服を着て、スナックに飛び込み営業をしては、レコードを手売りしていたそうです。
売れない時期を打ち破ったのは、「ザ・スパイダース」リーダーの田辺昭知さんとの出会いがきっかけでした。
田辺昭知さん設立の「スパイダクション」に移籍し、1972年に立て続けにシングルを発表。
「京都の女の子」が研ナオコさん初のオリコンシングルチャートにランクインします!
20代の頃
ますます個性派美人として可愛くなっていく20代の研ナオコさん。
20代の頃の経歴を見てみましょう。
・1975年(22歳):テレビ番組「カックラキン大放送!!」が開始され、メインレギュラー出演
・1976年(23歳):「あばよ」で、自身初のオリコンシングルチャート週間1位
・1977年(24歳):殺虫剤「キンチョール」のテレビCMに出演し、「トンデレラ、シンデレラ」が流行語に
・1981年(28歳):コンサート企画会社の社長と結婚
・1982年(29歳):「夏をあきらめて」がヒットし、数々の賞を受賞
1975年にテレビ番組「カックラキン大放送!!」のメインレギュラーとして出演しています。
コントコーナー「ナオコお婆ちゃんの縁側日記」の「ナオコばあちゃん」のキャラクターで大人気に!
研ナオコさんの明るいキャラクターがバラエティ番組やCMでも評価され、一躍お茶の間の人気者になります。
カックラキン大放送に出演したのは20代だったのか!
1982年、研ナオコさんが29歳の時に、桑田佳祐さん作詞作曲の「夏をあきらめて」をリリースし、ヒットしました。
研ナオコさんといえば、この曲を思いかべる人も多いのではないでしょうか。
第33回紅白歌合戦にも出場し、また数々の賞を受賞しています。
- 第24回日本レコード大賞金賞
- 日本有線大賞有線音楽賞
- 全日本有線放送大賞優秀スター賞
プライベートでは、1981年、研ナオコさんが28歳の時にコンサート企画会社の社長と結婚しました。
元々は研ナオコさんのバックバンドのマネージャをしていた方ですが、同棲をきっかけに会社を設立したそうです。
30代の頃
30代を迎えた研ナオコさんの経歴を見てみましょう。
・1985年(32歳):田原俊彦さんとのデュエットソング「夏ざかりほの字組」がヒット
・1985年(32歳):コンサート企画会社の社長と離婚
・1986年(33歳):テレビ番組「志村けんのバカ殿様」に多数出演
・1987年(34歳):元俳優の野口典夫さんと再婚、同時に妊娠6か月を公表し、同年に長男が誕生
・1989年(36歳):長女が誕生
1986年から始まった、テレビ番組「志村けんのバカ殿様」に研ナオコさんは多数出演しています。
ザ・ドリフターズの運転手だった志村けんさんが、メンバーに加入することになったのは、
面白いから、ドリフに入れたら?
と、研ナオコさんがザ・ドリフターズのリーダー・いかりや長介さんにお勧めしたことがきっかけだったそう。
そんな2人の息ぴったりのコントに、抱腹絶倒させられたものです。
タレントとしての幅を広げて、ますます魅力的になっていくなぁ~
1985年、研ナオコさんが32歳の時に、コンサート企画会社の社長と離婚しました。
1987年、研ナオコさんが34歳の時に、元俳優で7歳年下の野口典夫さんと再婚しています。
研ナオコさんがテレビ番組に出演し、スタッフだった野口典夫さんと意気投合して交際に発展したそう!
当時は珍しかった、いわゆる「できちゃった婚」で、世間を賑わせました。
40代の頃
40代の研ナオコさんはどんな経歴だったのでしょうか?
・1999年(46歳):映画「必殺! 三味線屋・勇次」出演
・2000年(47歳):テレビドラマ「億万長者と結婚する方法」出演
・2001年(48歳):志村けんさんとのデュエットソング「銀座あたりでギン!ギン!ギン!」リリース
・2001年(48歳):第24回「24時間テレビ 「愛は地球を救う」」にて85kmを完走
・2002年(49歳):初の自伝エッセイ本「家族リレー 〜ナオコんちの場合〜」出版
2001年に、研ナオコさんは志村けんさんとユニット「けん♀♂けん」を結成します。
デュエットソング「銀座あたりでギン!ギン!ギン!」はオリコンチャート最高41位という快挙!
曲の初めは聴かせる大人の恋愛の歌かと思いきや、それで終わるわけがない2人のデュエット、爆笑必至です。
若い頃も可愛いけど、40代になってオトナの魅力が増した研ナオコさんもすごく素敵!
2001年、研ナオコさんが48歳の時に第24回24時間テレビ 「愛は地球を救う」に出場しました。
女性初のチャリティーマラソンランナーを務め、85kmを完走したんです!
観客に、視聴者に、どれだけの元気と勇気を与えたことでしょう。
また、研ナオコさんは2021年、東京2020オリンピック聖火リレーに、かしま大使として出場しています。
研ナオコの若い頃(昔)と現在を画像で比較!
研ナオコさんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と現在の研ナオコさんは変わっているのでしょうか?
昔の研ナオコさんと現在の研ナオコさんを画像比較してみましょう。
若い頃も現在も、なんて個性的で美人なのでしょうか!
美しすぎて惚れ惚れしちゃう
メイクは若い頃とは違っていますが、歳を重ねても変わらず魅力的な研ナオコさんですね!
研ナオコの若い頃(昔)の髪型は?
研ナオコさんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?
若い頃の髪型は黒髪セミロング。
研ナオコさんのオリエンタルな魅力が活きています。
若い頃の髪型もすごくお似合い!
そして、現在はハンサムショートボブ。
いろんな髪型を経験してきた研ナオコさんですが、どんな髪型でも似合っていますね!
若い頃からチャーミングで、第一線で活躍し続けてきた研ナオコさん。
これからも応援しています!