ジャニー喜多川の若い頃のイケメン画像3選!生い立ちやハーフの噂、家系図も

ジャニーズ事務所の創業者で、実業家や音楽プロデューサーとしても活動していたジャニ―喜多川さん。

そんなジャニ―喜多川さんの若い頃がイケメンだと話題なんです。

一方で、その生い立ちは波乱万丈で、ハーフの噂もあるんです。

そこで今回は、

  • ジャニー喜多川さんの若い頃のイケメン画像
  • 生い立ちやハーフの噂の真相
  • 家系図

についてまとめました!

目次

ジャニー喜多川の若い頃のイケメン画像3選!

イメージ

2019年7月に亡くなってしまったジャニー喜多川さんですが、若い頃がイケメンだと話題になっています。

若い頃のジャニー喜多川さんのイケメン画像がこちら↓

Xより
Xより

鼻筋が通っていて目が大きくイケメンですね!

高橋成通さん(中央)、喜多川ジャニーさん(右)、フランセス中村さん(中央下)、ジャニー喜多川さんの兄(左)週刊文春より
高橋成通さん(中央)、喜多川ジャニーさん(右)、フランセス中村さん(中央下)、ジャニー喜多川さんの兄(左)週刊文春より

上の画像の右下に写っているのが18歳の時のジャニー喜多川さんですが、非常にさわやかなイケメンです!

若い頃のジャニー喜多川さん
若い頃のジャニー喜多川さん

こちらは、ジャニーズ事務所を設立した後のジャニー喜多川さんの面影がありますね!

10代のころと比べると顔つきがかなり変わったように見えますが、特徴的な鼻からジャニー喜多川さんであることがわかります。

ジャニー喜多川の生い立ちは?

ジャニー喜多川さん(smart flashより)
ジャニー喜多川さん(smart flashより)

若い頃から非常にイケメンだったジャニー喜多川さんですが、ジャニーズ事務所設立までの生い立ちにも注目が集まっています。

ここからはジャニー喜多川さんのジャニーズ事務所設立までの生い立ちをまとめていきましょう。

①親の仕事でアメリカで誕生

ジャニー喜多川さん(朝日新聞より)
ジャニー喜多川さん(朝日新聞より)

ジャニー喜多川さんは父親の仕事の影響で

アメリカのロサンゼルスで誕生しています。

ジャニー喜多川さんの父親は真言宗米国別院の僧侶の喜多川諦道さんで、布教のためにアメリカに渡っていたようです。

そのため、ジャニー喜多川さんはアメリカで生まれ、2歳まではアメリカで生活していました。

②日本に帰国して小中学校へ

ジャニー喜多川さん(週刊女性プライムより)
ジャニー喜多川さん(週刊女性プライムより)

アメリカのロサンゼルスで生まれたジャニー喜多川さんですが、

2歳の時に日本に帰国して、日本の小中学校に通っています。

帰国してすぐに母親が亡くなり、4歳年上だったメリー喜多川さんが母親の代わりとして面倒を見ていたようです。

日本にきて当時2歳のときに母親が死去し、4歳上の姉のメリー氏が母親代わりとなった。

朝日新聞より

また、当時は戦時中で、帰国したタイミングは和歌山大空襲にも遭遇していたため、若い頃は非常に過酷だったことがうかがえます。

③母と死別してアメリカの高校へ

ジャニー喜多川さん(ベストタイムズより)
ジャニー喜多川さん(ベストタイムズより)

母親がなくなり、戦争を経験した若い頃のジャニー喜多川さんは、終戦後、アメリカの国籍を保持するために、

渡米してアメリカの高校に通い始めました

生まれはアメリカでしたが、育ちはほとんど日本のため、英語は話せない状態で兄弟全員で渡米したようですが、行動力が凄まじいですね!

終戦後の1947年には再びロサンゼルスのハイスクールに戻ったそうですが、そこでは日本人としてイジめられ、英語も必死に覚えないといけなかったでしょうから、こちらでも大変に苦労したと思います

サイゾーウーマンより

また、戦争直後だったこともあり、差別やいじめでも苦労したのだとか。

ジャニー喜多川さん(日刊サイゾーより)
ジャニー喜多川さん(日刊サイゾーより)

高校に通っている間は、渡米した美空ひばりさんや服部良一さんの通訳をしたり、ショービジネスを学んだりしており、この経験が日本での芸能事務所設立を志すきっかけになったと言われています。

50年に訪米した美空ひばりや服部良一らの通訳を務めることになったのだ。この経験が日本で芸能事務所開設を目指すきっかけにもなったという。

サイゾーウーマンより

高校生の頃からビジネスに携わり、将来設計を考えていたジャニー喜多川さんには先見の明があったのかもしれません。

④バンドや野球チームのコーチを

ジャニー喜多川さん(週刊女性プライムより)
ジャニー喜多川さん(週刊女性プライムより)

若い頃からビジネスに触れ、ショービジネスを学んだジャニー喜多川さんは日本に戻った後、

バンド活動をしながら、野球チームのコーチをしていました。

ジャニー喜多川さんが若い頃に活動していたバンドの名前や活動期間に関しては不明です。

ただ、野球チームに関しては1950年代後半に結成したようで、その野球チームの名前が「ジャニーズ」という名前でした。

50年代後半から米大使館軍事顧問団に勤務した。自身が住んでいた東京・代々木の進駐軍宿舎で、付近の少年たちを誘って組んだチームが「ジャニーズ」。

スポニチより

野球チームの名前の由来は、ジャニー喜多川さんがこれまで「ジャニー」と呼ばれていたことから来ているようです。

⑤ジャニーズ事務所を設立

ジャニーズ事務所(読売新聞より)
ジャニーズ事務所(読売新聞より)

バンド活動や野球チームのコーチをしていたジャニ―喜多川さんは

1962年にジャニーズ事務所を設立しました。

ジャニーズ事務所を設立するきっかけは「ウエスト・サイド物語」というミュージカル映画でした。

雨で練習ができなかったときに野球チームで鑑賞した「ウエスト・サイド物語」でスタイルのいい男性が踊っている姿に感動し、野球よりも興味が湧き、路線変更をしたようです。

スタイルの良い男性が華麗に歌い、踊り、舞う姿に衝撃を受けた。「野球よりもこっちの方がいい」と路線を変更。野球チームのメンバーから4人を選んで

スポニチより

当時雨が降っていなければ、今のジャニーズ事務所はなかったのかもしれませんね。

ジャニー喜多川はハーフ?

ジャニー喜多川さん(東スポwebより)
ジャニー喜多川さん(東スポwebより)

若い頃がイケメンだったことと、ジャニー喜多川という名前から「ハーフ」なのではないかと言われています。

しかし、ジャニー喜多川さんはハーフではありません

ジャニー喜多川さんの本名は喜多川 擴(きたがわひろむ)父親も母親も日本人です。

ジャニーという名前の由来は、アメリカで生活していたときのジャン・ヒロム・キタガワのジャンから来ており、周囲からジャニー(ジョニー)と呼ばれていたことからジャニー喜多川という名前になったようです。

ジャニー喜多川の家系図まとめ!

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ハーフだと思われていたジャニー喜多川さんは完全に日本人であることがわかりました。

ここからはそんなジャニ―喜多川さんの家系図をまとめていきます。

ジャニ―喜多川さんの家系図がこちら↓

ジャニー喜多川さんの家系図

この図からも、名前はミドルネームでハーフらしさはでてしまいますが、実際にはハーフではなくジャニー喜多川さんが日本人であることがわかります。

ちなみに、母親・喜多川栄子さんや長男で兄・喜多川真一さんの画像は非公開のようでした。

なかなか表舞台に出てくることはなかったジャニー喜多川さんですが、イケメンだった若い頃も含めて要注目ですね。

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