歌手や女優として幅広く活躍している浅丘ルリ子さん。
その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!
さらに、若い頃にどんな出演作品に出て、どんな経歴を辿ってきたのかも気になりますよね。
そこで今回は、
- 浅丘ルリ子さんの若い頃の可愛い画像
- 若い頃の出演作品や経歴
- 若い頃と現在の比較画像
- 若い頃と現在の髪型比較
についてまとめました!
【画像】浅丘ルリ子の若い頃(昔)が可愛すぎ!
女優として多くのファンを魅了してきた浅丘ルリ子さん。
その若い頃が可愛すぎると話題なんです!
早速、浅丘ルリ子さんの若い頃の画像を見てみましょう。
可愛い!正統派美人!
面影を感じます。
浅丘ルリ子さん、若い頃から色気があって可愛いですね!
浅丘ルリ子の若い頃(昔)の出演作品や経歴を時系列でまとめ!
若い頃から可愛い浅丘ルリ子さんですが、昔の出演作品や経歴はどうだったのか、時系列でまとめてみましょう!
10代の頃
10代の頃の浅丘ルリ子さん、あどけない表情がとても可愛いですね!
そんな浅丘ルリ子さんは、こんな10代を過ごしています。
・1954年(14歳):映画「緑はるかに」ヒロインのルリコ役に選ばれる
・1956年(16歳):映画「ジャズ・オン・パレード 1956年 裏町のお転婆娘」「愛情」など出演
・1957年(17歳):出演映画「踊る太陽 お転婆三人娘」の主題歌「三人姉妹マンボ」で歌手デビュー
・1958年(18歳):日本映画製作者協会 新人賞受賞
・1959年(19歳):小林旭さん主演の3大アクションシリーズに出演開始
1954年、浅丘ルリ子さんが14歳の時、映画「緑はるかに」ヒロインのルリコ役の募集に、両親賛成のもと応募します。
約3,000人の中から、審査員の中原淳一さんが「この子だ」と言い、強力な推薦によって選ばれて銀幕デビュー!
浅丘ルリ子さんを見た中原淳一さんは、自分の挿絵から抜け出てきたのではないかと戸惑うほど、衝撃を受けたそう。
確かに!浅丘ルリ子さんに似ているね!可愛い!
役柄のルリコと、本名から「浅」、そして映画のイメージから「丘」の1字をとり、芸名が決まりました。
この作品を機に、浅丘ルリ子さんは瞳の大きな美少女として注目を集めます。
映画の中で浅丘ルリ子さんがしていた髪型、ルリ子カットは若い女性の間で大流行しました!
デビュー以降、浅丘ルリ子さんは日活の看板女優として数多くの映画に出演していきます。
1959年に、浅丘ルリ子さんは小林旭さん主演の3大アクションシリーズで、ヒロイン役として出演を開始しました。
美男美女の共演で、ため息が出るほど素敵ですね!
20代の頃
ますます美人で可愛くなっていく20代の浅丘ルリ子さん。
20代の頃の経歴を見てみましょう。
・1960年(20歳):小林旭さんと事実婚の関係にあったが、1961年に別離
・1961年(21歳):世界一周早回りと国際親善をかねた「美しい東洋親善使節団」日本代表
・1964年(24歳):石原裕次郎さん主演のムードアクションシリーズに出演開始
・1964年(24歳):「夕陽の丘」で石原裕次郎さんとデュエット
・1968年(28歳):第6回ゴールデン・アロー賞大賞受賞
・1969年(29歳):「愛の化石」が、オリコンチャート最高2位を記録
1960年、浅丘ルリ子さんが20歳の時に小林旭さんと事実婚の関係でしたが、1961年に別れることとなりました。
この別れが原因で荒んだ生活を送っていた浅丘ルリ子さん、石原裕次郎さんに励まされて持ち直したそうです。
1964年からは、石原裕次郎さん主演のムードアクションシリーズにヒロイン役として出演し始めます。
「赤いハンカチ」や「夕陽の丘」に出演したのは20代だったのか!
ムードアクションシリーズの一つ、「夕陽の丘」では浅丘ルリ子さんは1人2役に挑戦し、話題となりました。
また、この作品の主題歌である、石原裕次郎さんとのデュエット曲「夕陽の丘」も大ヒットします。
女優のイメージが強い浅丘ルリ子さんですが、1969年リリースの「愛の化石」は、オリコンチャート最高2位を記録!
また、浅丘ルリ子さんの代表曲の一つとなったこのヒット曲は、1970年に映画化されています。
当時の日活の看板女優である、浅丘ルリ子さんの溢れんばかりの美しさを存分に味わえる作品です!
30代の頃
30代を迎えた浅丘ルリ子さんの経歴を見てみましょう。
・1970年(30歳):第7回放送批評家賞ギャラクシー賞受賞(「90日の恋」など)
・1970年(30歳):映画「人間と戦争」シリーズ出演開始
・1971年(31歳):石坂浩二さんと結婚
・1973年(33歳):映画「男はつらいよ」シリーズ出演開始
・1975年(35歳):映画「男はつらいよ・寅次郎相合い傘」出演し、数々の賞を受賞
1971年、浅丘ルリ子さんが31歳の時に、ドラマ「2丁目3番地」での共演をきっかけに石坂浩二さんと結婚します。
当時浅丘ルリ子さんは、押しも押されもせぬ大スターで、石坂浩二さんは世の男性の羨望を一身に集めました!
結婚する際に石坂浩二さんは浅丘ルリ子さんに
あなたは女優だ、結婚しても仕事を選んで女優を続けてください
と伝えたそうです。
浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんは結婚後ほどなくして別居となり、2000年に離婚をしています。
1973年から、浅丘ルリ子さんは映画「男はつらいよ」シリーズのマドンナ役に抜擢されます。
「男はつらいよ」シリーズを彩った美しいマドンナ達の中でも、浅丘ルリ子さんは一際輝きを放つマドンナでした。
女優としての幅を広げて、ますます魅力的になっていくなぁ~
1975年には映画「男はつらいよ・寅次郎相合い傘」での演技が高く評価され、数々の賞を受賞しています。
- 第21回 キネマ旬報主演女優賞
- ブルーリボン賞主演女優賞
- 第30回毎日映画コンクール女優演技賞
40代の頃
40代の浅丘ルリ子さんはどんな経歴だったのでしょうか?
・1982年(42歳):鈴木自動車工業(現・スズキ)「セルボ」〈2代目前期型〉CM出演
・1986年(46歳):蜷川幸雄さん演出の舞台「貧民倶楽部」主演
・1986年(46歳):映画「鹿鳴館」出演
・1987年(47歳):第10回日本アカデミー賞優秀主演女優賞受賞(「鹿鳴館」)
・1989年(49歳):東京都民栄誉賞(「日本橋」)
1979年に、舞台「ノートルダム・ド・パリ」に出演して以降、浅丘ルリ子さんは活動の中心を舞台に移しています。
1986年、浅丘ルリ子さんは46歳の時に、蜷川幸雄さん演出の舞台「貧民倶楽部」で主演を務めました。
当時大人気の女優・浅丘ルリ子さんと、歌手・ジュリーこと、沢田研二さんとの華やかな共演が、話題になりました。
若い頃も可愛いけど、40代になってオトナの魅力が増した浅丘ルリ子さんもすごく素敵!
1986年、浅丘ルリ子さんが46歳の時に、映画「鹿鳴館」のヒロイン役で出演します。
当時数億円を投じて再現された鹿鳴館の豪華セット、舞台風の台詞回しと大胆な演出などで話題になリました。
浅丘ルリ子さんは、ワダ・エミさんデザインの豪華な衣装に負けることのない、華やかな美しさを咲き誇っています。
浅丘ルリ子さんの演技が高く評価され、1987年に第10回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しました。
50代の頃
50代の浅丘ルリ子さんはどんな経歴だったのでしょうか?
・1994年(54歳):映画「四十七人の刺客」 出演
・1995年(55歳):第50回毎日映画コンクール 田中絹代賞受賞
・1996年(56歳):第9回日刊スポーツ映画大賞主演女優賞受賞(「男はつらいよ・寅次郎紅の花」)
・1999年(59歳):第24回菊田一夫演劇賞受賞受賞(「にごり江」)
・1999年(59歳):名古屋演劇ペンクラブ年間賞受賞(「濹東綺譚」)
1994年、浅丘ルリ子さんが54歳の時に、映画「四十七人の刺客」に 出演しました。
映画の中で、妻を守るために離縁を切り出す夫を前に、泣き崩れるシーンは浅丘ルリ子さんの女優魂が光ります。
浅丘ルリ子さん、和装もとてもお似合いですね!
50代になって、より深みと存在感が増した、浅丘ルリ子さんもすごく魅力的!
1995年、浅丘ルリ子さんが55歳の時に映画「男はつらいよ・寅次郎紅の花」にマドンナ役で15年ぶりに出演します。
寅さん役の渥美清さんが闘病中で、「最後になるかもしれない」と監督が考え、浅丘ルリ子さん出演が決まったそう。
このエピソードからも、浅丘ルリ子さんがどれだけ「寅さんシリーズ」で存在感を放ってきたか伝わりますね!
浅丘ルリ子の若い頃(昔)と現在を画像で比較!
浅丘ルリ子さんの若い頃の画像や経歴を見てきましたが、若い頃と現在の浅丘ルリ子さんは変わっているのでしょうか?
昔の浅丘ルリ子さんと現在の浅丘ルリ子さんを画像比較してみましょう。
若い頃も現在も、なんて可愛くて美人なのでしょうか!
美しすぎて惚れ惚れしちゃう
メイクは若い頃とは違っていますが、歳を重ねても変わらず美しい浅丘ルリ子さんですね!
浅丘ルリ子の若い頃(昔)の髪型は?
浅丘ルリ子さんは若い頃どんな髪型だったのでしょうか?
若い頃の髪型はブラウンカラーでカールの入ったロングヘアー。
外国のお人形みたいな可愛らしさですね!
若い頃の髪型もすごく可愛い!
そして、現在はカールの入ったショートスタイル。
いろんな髪型を経験してきた浅丘ルリ子さんですが、どんな髪型でも似合っていますね!
若い頃から可愛くて、第一線で活躍し続けてきた浅丘ルリ子さん。
これからも応援しています!